『いま生きているという冒険』(石川直樹)
この本は、休みの日に近所のブックカフェで見つけた。
本もコーヒーも好きだから、日ごろから自宅の近くにある本屋やカフェをチェックするようにしていて、機会があれば立ち寄れるようにと備えている。
このブックカフェもそんな店のひとつで、知ってはいたけど入るのは初めてだった。
その日は朝から雪がちらつくような空模様で、駅の近くとはいえ主要な人通りから外れた場所にあるその店には、ぼくのほかに客はいなかった。
静かに本を読みたいぼくにとって店に人気がないのは好印象である。
書棚を眺めてみると、旅やトレイル関連の書籍がまとめられた区画があり、ぼくの好感度はまた一段引き上げられた。
そして、一杯のコーヒーと共に手に取ったのがこの本だったのである。
本の最初のほうには世界地図が載っており、世界中にピンが打たれている中で、北極から南北のアメリカ大陸を通って南極までの線が引かれていたのがとりわけ印象的だった。また目次をみると、ちょうど歩きに行く計画を立てているネパールに関する章もあるようだった。パラパラとその位を読んだ辺りで購入を決めた。
石川直樹の作品に触れるのはこれが初めてで、事前の知識や印象の無いまっさらの状態で読み始めたのだが、読み進めるうちに、まあとんでもないことに挑戦する人物なのだなという事が分かってきた。
高校時代のインド一人旅に始まり、ユーコン川カヌー旅、北極から南極までの”POLE TO POLE”プロジェクト、七大陸最高峰登頂、地図もコンパスも動力も使わない航海、気球での太平洋横断など。海、川、山、そして空と、あらゆるフィールドで大冒険の数々を経験している。
しかし、文章中には不思議なほど「冒険」という単語は出てこない。
本人もどうやら「冒険をしている」とは思っていないようで、単に「旅」とか「大きな旅」という表現が使われることが多かった。
自分が一番になってやろうとか、他の人には出来ないことをしてやろうとか、そういった外の視線を意識した気負いのようなものがなく、身体で世界を体感したいという好奇心に無邪気に突き動かされた結果、いろいろ成し遂げてしまった人なのではないかと思う。
代わりにちらほらと目につくのが「神話」という単語だ。
アラスカで原始の生活を続けるイヌイット、標高5000メートルを舞う世界を創造したワタリガラス、星読みの航海術。
都市の生活から大きく逸脱した環境で、人の生活と自然が交じりあっていた時代に思いを馳せる場面が幾度となく出てくる。
著者の旅への憧憬は、読書から始まったのだそうだ。
きっと物語の登場人物たちが生きる世界を想像したくて、実体験により想像力の限界を押し広げるための旅を繰り返してきたのではないだろうか。
正直とても羨ましいと思った。そんな風には生きてこなかったし、きっと生きられなかった自分を横に並べて意味のない劣等感を感じている。
著者によると、冒険とは、危険を冒して物理的に難しいことを成し遂げることでは必ずしもなくて、自分の知らない世界へ一歩踏み出す、精神的な面を大切にしているそうだ。
それは、人と出会って好きになったり、新しく仕事を始めたりといった、社会生活の中での出来事も含む。
その意味では、初めてのカフェでこの本を手にしたのも小さな冒険と言えるのかもしれない。
それも、ぼくにとっての「いま生きているという冒険」なのだろう。

